以前友人が、柴幸男さんの『わが星』をおもしろいと言っていたので見に行ったらとってもおもしろくて、その友人が「『大工』がいいよ」と言っていたので見に行ったら、やっぱりおもしろかったので感想を書きたくなりました。
※以下、公演内容に触れています。

『大工』とは?

この作品は、柴幸男さんが多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科の上演実習のために書き下ろしたもの。今回は卒業公演として上演されました。

同じ家に住む大工の集団である竹上工務店と、被災地に家を建てることで家族になろうとする4人の他人。この2グループのストーリーを軸に、ベートーヴェン、都会暮らしにしがみつこうとする女性など、さまざまな人生が描かれます。

家のない「犬」は、小屋を作ってもらったことをきっかけに、大工に憧れ、大手の竹上工務店に弟子入りします。家造りを通じて社会のさまざまな問題を解決してきた竹上工務店は、持ち前の建設的な問題解決能力をもって国政を取ることを目指します。一方、ある地域では災害が起こります。そこで偶然出会った男・女・少年・少女。男は避難所に行かず、そこに自分たちの家を建てようとします。そして、他の3人に対して。そうして、他人同士だった4人が家族として生活が始まります。
本編はベートーヴェンが指揮する第九のメロディーにのせ、ところどころ曲にセリフをはめながら進行します。映画やアニメのアクションシーンで、BGMとしてオーケストラのがかかる高揚感ってあると思うのですが、この作品でも激しいシーンはその効果がすごいです。

舞台の角で指揮をふるベートーヴェンの家や家族にまつわるエピソードも、出てきます。彼が人生で何十回も引っ越しを繰り返したというのは知りませんでした。そんなベートーヴェンが自らの死を語ったセリフが、私はすごく好きでした。
フレームと取り外し可能なパネルを使ったセットがおもしろく、新築の家やがれきの家、立ち並ぶマンションなど豊かに表現していました。

いなせな竹上工務店

物語の柱の1である、大工集団・竹上工務店のメンバーと犬のエピソードは、ものづくりの現場らしい力強いノリがあります。
学生さんが演じていてお若いからか、いなせでとてもかっこいいんですよね。白い衣装が凜としてスタイリッシュ。大人数で舞台のセットに座って正面を向いている姿なんて、「いよ!竹上工務店」と叫びたくなっちゃう。
大工たちのリーダーである棟梁は、男女2人でユニゾンしながら演じます。だからジェンダーレスであいまいでミステリアス。他の大工たちとは絶対的に違う存在感をかもします。
女性の棟梁を演じている方が貫禄があってかっこいいんですよね。うん。

やがては国政を手にするアグレッシブな大工たちですが、無敵ではなく、「火事」にはかないません。家のことをよく知る大工たちは、火災が発生すると効率的な消火のために家を壊します。大工が建てた家を大工が壊す。自分は悪くないのに、自分が作った作品を、自分で壊す。物語の端々で顔を出す、このちょっと切ない運命が、小さなろうそくの火のように、無視で存在として心の中に灯ります。
そんな悲しみを仕込まれてしまったら、ほだされずにはいられません。

つぎはぎの家族

物語をリードしていくもう1本の柱は、災害の被災地で出会った他人同士の4人が、家族になろうするエピソード。記憶を無くした男が、偶然助けた女に、「君は家族だ」「住む家を建てよう」と言います。その後さらに2人の少年少女をがれきから見つけます。男は避難所に行こうとせず、がれきを使って家を建て、そこに住もうとします。
当たり前ですが、初め他の3人は男に向かって「何を言っているんだこの人」という態度なのですが、それぞれの内情から、一緒に行動し徐々に家族としてなじんでいきます。

このエピソードの舞台は、たくさんの死が通り過ぎた後の、絶望漂う非日常の世界。その中で1人だけまっすぐ確信に満ちた男の言動には、ざらりとした怖さがありました。

記憶があいまいですが、家族たちががれきで家を作る様子を、がれき…ではなく、まだらに塗ったパネルをフレームにはめていくことで表していたような気がします。私にはそれが、昆虫が黙々と機械のように無心に動いて巣を作っているようなイメージと重なりました。昆虫には意思がありませんが、この家族もまた、絶望で思考が停止して、意思がないのかもしれない、ということを見ながら考えてました。生き物が機械のように無感情に動く姿って不気味ですよね。そんな感じです。

この父親って、声が大きくてちょっと怖いんですが、家族を守るということについては極めてまともで一貫しています。話が進むとだんだん「この人いい人だな」って気持ちになってきます。
でもそれはストーリーの進行で父親が変わったからではなく、徐々に見ている側に父親の情報が開示がされて「何考えているのかわからない人」が「知っている人」になったからなんですよね、ということを、見終わって振り返りながら興味深く思いました。

そんな父親のバックグラウンドが明かされる瞬間があるのですが、スタイリングにちょっとした仕掛けがありました。父親が何者かわかった瞬間、父親のビジュアルが今までとまったく違った意味を持ちます。その瞬間震えました。

都会に住む女性

さまざま人物の家に関するエピソードが披露される中で、一番感情移入したのは、田舎から出てきてお金がないながらも都会暮らしにこだわり続ける若い女性の怒り。お金がなくて、望みが叶わなくて、恨み辛みを吐きながら、それでも都会に住み続ける。「どうして私がただで住める家はないの!」「何でもあるのに、何も手に入らない!」(うろ覚え)は、20代中ごろくらいまで私もよく思ってました。

私は田舎に生まれて就職で東京にやってきたタイプで、さらに東京で最初に住んだ場所があまり住みやすい街と家ではなかったので、常にモヤッとしたストレスがありました。
東京に来て間もない頃、東京に実家がある子に「裏原宿」なるものを案内してもらう機会があったのですが、それまで大都会と思っていた原宿近辺にも普通の一軒家を持って昔から住んでいる家庭があることに、「こんな人生もあるんだな」と衝撃をうけました。

私を裏原宿案内してくれたその子は、当時実家を新築したというので、「新しい部屋のインテリアどうしようかな」なんて悩んでいました。こちらは賃貸住みでインテリアも大したことはできないし、狭いし、お金ないしだったので、実家暮らしで働いて、割とお金がある状態でインテリアを1から考えられるってなんて楽しそうなんだろうと、とてもうらやましく思いました。

とはいえ、東京に家のある人はただありのままに生きているだけなので、ひがみをぶつけるわけにもいきません。こんな感情、誰かに打ち明けても心が汚いと思われそうで口に出すのもためらわれました。
当時は今より収入がなかったのに、「着飾らなきゃ」「外出しなきゃ」という義務感や物欲は旺盛で、若さが怒りの燃料となって悶々としていました。
その後収入があがったことや、年をとって物欲が減ったこと、引っ越ししたマンションが穏やかな土地にある眺めの良い部屋だったことで、こんな気持ちもいつの間にか忘れていました。なので見ていて懐かしい思いでした。


作品自体それだけでもとてもよかったのですが、運がいいことに私がちょうど私が引っ越しを考えていたので、他の人よりも敏感に作品を味わえたように思います。

このたび、前述の「眺めの良い部屋」の退去することにしました。というのも、古いマンション(でもリフォームしていて中はきれい)だったのですが、設備不良があり、それがどんどん悪くなっている。管理会社に相談しましたが、「共有部分も含めた大がかりな工事になるので修理は難しい」と言われました。ちょうど更新時期なのもあり、「もう退去しかないな」と思いつつ、気に入っていたのでとても迷っていました。
もっと主張すれば修理の道もあったのかもしれませんが、それまでも古いマンション故のトラブルがちょこちょこあってそういうのに疲れていたし、もっと致命的なトラブルがいつ発生するかわからないと思うと、住み続けるのは不安でした。

立地も良く、住んでいる人もおだやかで、「老いのすみかとして死ぬまでここに住みたい!」と思うほど気に入っていました。長く住むつもりで、昨年の夏ハウスクリーニング業者を入れてスッキリしたところだったので、出ることになってとても残念です。

そんな訳で「更新はしない」と連絡を入れた後も「あと2年くらいは、だましだまし住めたんじゃないか」「もっと交渉すればよかったのではないか」と未練がましく悩んでいました。そのタイミングで『大工』を見ました。
そして、この部屋がどれだけ心の支えだったかを思い出して、じんわりと今までの月日がこみ上げてきました。

その一方で天災のシーンでは、入居したときの「こんな古いマンション、地震とかあったらどうなるんでだろう」という感情を、今の私はすっかり忘れてしまっていることを思い出しました。この部屋を借りたとき、不動産屋さんの資料の「耐震基準」の欄に、「耐震基準が設定される前の物件なので未調査」なる旨が書かれていたんですよね。私それを見て当時とても不安だったけど、でもその時出せるお金で住めるのがそこくらいしかなかったんで、「あと2年くらいは大きな地震こないだろう」と、えいや!でそこに住むことにしたんですよね。それから当初の予定よりも随分長く住んでしまったものです。
住み心地のよい暮らしの中で、災害が来ることを忘れていたのは私でした。

そのようにさまざまな気づきがあって、家に対する感情が供養され、引っ越しに対する未練が大幅に減りました。引っ越すことで、家との関係を一度壊して作り直して、もっとよい未来を作れるような気がしました。年末に見たことで、なお一層2018年から新しいことが始まりそうな気がしました。